<由来> 千葉山・妙音院「安楽寺」<浄土真宗・本願寺派>もとは真如寺(しんにょじ)と称した天台宗の四国総録〈統轄〉でした。鎌倉中期の1259(正元元)年、関東から関東の豪族であった千葉彦太郎常重が入寺し、浄土真宗 安楽寺と改め現在に至っています。阿波の守護職 小笠原・細川・三好の各国主と姻戚関係を結び、庇護をうけて寺勢を拡張し、阿波・讃岐・淡路の各地に寺院を創立し、四国における最古、最有力の真宗寺院として栄えました。藩政時代にも、藩主の優遇のもとに繁栄を続け、江戸時代の末寺帳によれば、その中期には、阿波に21、讃岐に50、伊予に5、土佐に8、計84か寺の末寺があったということです。安楽寺の山門安楽寺を一般に「アカモン寺」と呼ぶほど、この山門は近郷近在の人々に親しまれ、寺のシンボルとなっています。朱塗りの重層門(二層・三層・・・の重層構造の門)で、県下五大門の一つに数えられています。2009(平成21)年より山門の改修工事が行われ、翌年3月、色鮮やかな「赤門」が姿を現しました。
「あづま屋」から石段を登ったところに位置します。本堂の裏には有名な「枯山水の庭園」が見られます。 また、敷地内には「美馬市立郷土博物館」も開館しています。 <由来>
宝壷山・真城院「願勝寺」<真言宗・御室派>
奈良時代に忌部五十麿(いんべいそまろ)が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に方壷山維摩寺(ゆいまじ)を建立しました。 平安時代 藤原信西(しんぜい)の娘 阿波内侍(あわのないじ)が崇徳天皇に仕えてたいへんかわいがられていました。
阿波内侍は、これを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼(びくに)となり、館(やかた)を改め寺とし、上皇のご冥福を祈りました。その寺が京都の願勝寺でした。 はばかるところがあって、内侍尼は了海上人(りょうかいしょうにん)に託して京の願勝寺を母の生国の阿波に移し 維摩寺 改め願勝寺としました。
これが現在の願勝寺のはじまりです。 願勝寺・枯山水の庭園本堂の裏側に位置し、四国最古の庭園の一つに数えられています。
安楽寺・林照寺と共に、寺から寺へと渡り歩ける距離にあります。
<由来>
至心山・千葉院「西教寺」<浄土真宗・本願寺派>
桃山様唐門1964年(昭和39年建立)を入ると銀杏の大木があり、1985(昭和60)年再建の本堂(鉄筋コンクリート造り)に映えて、美しい景観を見せています。