1936(昭和11)年ドイツ外科学会国外会員、1943(昭和18)年には、日本外科学会名誉会頭に推挙されるなど、日本における外科学の開拓者として活躍し、1945(昭和20)年米軍空襲により、岡山県において没す。(享年80才)
1922(大正11)年(56才)、欧米視察旅行から帰途の船中、ドイツの理論物理学者アインシュタイン博士の急病を治療するという奇縁からお互いに親交があり、三宅先生夫妻の戦争による死を悼んで、自筆の哀悼文が寄せられた。
穴吹町舞中島光泉寺境内のアインシュタイン友情の碑に碑文が刻まれている。
(右写真:欧米視察旅行から帰途の船中 アインシュタインと三宅医博)