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観光情報
市指定文化財1(史跡名勝天然記念物)市指定文化財1(史跡名勝天然記念物)
    拝東古墳(はいひがしこふん)

所在地:美馬市脇町字拝原2470番地
昭和49年12月17日 市指定

 現状では直径15m、高さ5m(推定)の円墳。墳丘の北側は民家・西側は果樹園・東側は水路・南側は畑でもって削り取られており本来の姿は殆ど見られない。現全長5.5m、玄室長4.5m、羨道部現長1mで南に開口している。 石室は最大幅2.5m、最大高2.7mの両袖式横穴式石室である。
  奥壁と側壁の玄門石の高さまでは砂岩を使っており側壁の持ち送る部分は結晶片岩の割り石を使っている。
  奥壁と側壁から持ち送る段の塚穴型石室であり、天井部は7枚の結晶片岩が使われている。時期は6世後半から6世紀末。

拝東古墳 拝東古墳
 
    拝中古墳(はいなかこふん)

所在地:美馬市脇町字拝原1081番地
昭和49年12月17日 市指定

 曽江谷川の堆積作用による扇状地上標高45mに位置する。直径15m、高さ5m(推定)の円墳。現全長7.1m、玄室長3.6m、現羨道部長3mで南に開口している。石室は最大幅2.4m、高さ3mの両袖式横穴式石室である。 
  奥壁は結晶片岩の1枚石で、側壁は基底部の1~2段は結晶片岩を使い、その上は砂岩を積み重ねており隙間を結晶片岩の割り石を使っている。
  側壁を内側に向かって持ち送る段の塚穴型石室であり、天井部は7枚の結晶片岩が使われている。時期は6世紀後半から6世紀末。

拝中古墳 墳丘 拝中古墳 石室
 
    国中古墳(くになかこふん)

所在地:美馬市脇町岩倉2968番地4
平成3年10月17日 市指定

  標高75mの河岸段丘南端の丘陵上に位置する。直径12m、高さ4m(推定)の円墳。
墳丘の北側はミカン畑・西側は墓地・南側は開墾により削られ東側のみが原形をとどめている。
  現全長2.4mで玄門部及び羨道部は埋土によって石室の規模は不明。南南東に開口した石室最大幅2m、最大高2mの横穴式石室である。
  奥壁及び側壁の基準線までは砂岩を使っており、基準線と持ち送りの部分は結晶片岩の割り石を使っている。
  奥壁と側壁から持ち送る段の塚穴型石室であり、天井部は5枚の結晶片岩で作られている。時期は6世紀後半。

 
    三島古墳群1号墳(みしまこふんぐん1ごうふん)

所在地:美馬市穴吹町三島字三谷365
昭和62年3月11日 市指定                                                                 

 四国山地から緩やかに傾斜した緩斜面標高80mに位置し吉野川を眼下に望む所に位置している。
  墳丘は全長15mの前方後円墳形とされている形態であるとされているが、長円墳とも考えられる。二つの石室があり西側が1号石室・東側が2石室である。いずれも北東方向に開口している。1号石室は崩落している為規模は不明。2号石室を作った後に1号石室を作った為に墳丘がいびつな形になったものと考えられる。
 2号石室は全長5.2m、玄室長2.3m、最大幅2m、高さ1.9mで玄門部があり、床に仕切り石をつけている。床から5段の高さで基準線を設けそれより上を奥壁・側壁とも持ち送っており、結晶片岩を使用している。天井部は奥壁から2枚、玄門部から2枚持ち送り中央部で1枚渡している
  時期は出土遺物から見て6世紀後半から7世紀前半と思われる。

三島古墳群1号墳 1号石室 三島古墳群1号墳 1号石室 石室内部
 
    三島古墳群2号墳(みしまこふんぐん2ごうふん)

所在地:美馬市穴吹町三島字三谷365
昭和62年3月11日 市指定                        

  三島古墳群1号古墳より20m東に位置している。
  直径12m・高さ2.5mの円墳である。
  石室は北北東に開口し、全長5.6m、玄室長1.9m、最大幅2m、高さ1.8mの横穴式石室である。天井部は玄門部から2枚・奥壁から3枚の石を持ち送り、中央部で1枚渡している。
  時期は1号古墳と同じく出土遺物から見て6世紀後半から7世紀前半と思われる。

三島古墳群2号墳 墳丘 三島古墳群2号墳 石室
 
    三島古墳群3号墳(みしまこふんぐん3ごうふん)

所在地:美馬市穴吹町三島字三谷1398-1
昭和62年3月11日 市指定                        

  四国山地から緩やかに北に傾斜した標高150mに位置している。
  直径8m、高さ2.5mの円墳である。
  石室は北北東に開口し、全長5.6m、玄室長2.2m、最大幅2.4m、高さ2.2mで玄室平面形は正方形に近い横穴式石室である。天井部は玄門部から2枚・奥へ基部から3枚の石を持ち送り中央部で1枚渡している。
  時期は出土遺物から見て6世紀後半と思われる。

三島古墳群3号墳 墳丘 三島古墳群3号墳 石室
 
    尾山古墳(おやまこふん)
所在地:美馬市穴吹町口山字尾山20-5
平成8年4月1日 市指定
                
  標高70mの尾根の丘陵先端に位置し、吉野川を眼下に見下ろす位置に立地している。  墳丘は南西部・北西部が畑などの開墾により削られ南北に長い卵形になっているが、実測図で復元すると直径13m、高さ3mの円墳と思われる。
  玄室長3.8m、最大幅2.3mで南に開口した横穴式石室で、結晶片岩の割り石を使用している。天井部は欠損している為高さは不明。羨道部は埋没している為全体の規模は不明。
  石室の平面プランが胴張りを呈している。時期は出土遺物が不明の為断定できないが6世紀後半と思われる。
尾山古墳 石室 尾山古墳 石室
 
    重清城跡(しげきよじょうあと)

所在地: 美馬市美馬町字城53番地1・2 
平成13年12月7日 市指定

 重清城は、1578年、四国平定のため阿波に侵攻してきた長宗我部元親率いる土佐勢と、阿波方との合戦の地となった場所である。 
 吉野川中流域北岸、河岸段丘上に位置し、西側には船屋谷川、東側に黒谷川、北岸には船屋谷川に注ぐ城ヶ谷がはしる。
 現在残っている遺構として、堀と土塁が城域の東側において最も良好に残り、二重の堀・土塁が現在の道路に沿う形で明瞭に残っている。そのうち、内側の土塁は北側・西側・南側と巡り、部分的に切れているもののほぼ全周、その延長は192mに達する。平面規模は、南北60m、東西44mである。中心部分には、小笠原神社、北東隅には井戸がある。

重清城跡 重清城跡 二重堀
 
 鎌倉時代、承久の乱後本拠地を池田大西城においた小笠原氏が阿波の支配を強めた。鎌倉時代末期、小笠原長親が重清に入り、重清城を構えた。南北朝時代に入ると、本拠地を勝瑞城においた細川氏が阿波を支配するようになり、小笠原氏は細川氏の家臣となり、三好氏を名乗るようになる。応仁の乱後の戦国時代になると、細川氏にかわって、三好氏が戦国大名として阿波を支配するようになる。
 1578年、長曽我部元親は大西上野助とその従兄弟中鳥城主久米形馬とを手先につかい、重清城を訪問させ、降伏を勧告する和談の途中で、城主小笠原豊後守長政とその子らを謀殺、重清城は落城する。その後、三好存保の反撃により、城は一旦阿波方に戻るが、再度長宗我部が侵攻し、重清城を落とし入れた。
 
    稲田墓所(いなだぼしょ)

所在地:美馬市脇町大字脇町1162番地2
 昭和55年3月25日 市指定

  脇城主稲田家累代の菩提寺貞真寺境内にあり、縦5.5m・横10m・高さ1.6mの土塀に囲まれた和泉砂岩製の4基の五輪塔。  一番東は、現高2.2mで空輪頂部と火輪の軒を欠いている。薬研彫りで「地・水・火・風・空」と刻まれ、地輪に「寛永十八年辛巳年五月念四日」(1641年)とある。
  一番西は、昭和21年の南海大地震で風輪・空輪が崩落し、西側におかれており復元推定高2mで、地輪に剥落しているが「○○○○宗心居士」と刻まれており、脇城主稲田植元の墓である。
  中央東に高さ64cmの一石五輪塔・中央西側に現高73cmの小五輪塔があり、いずれの一つが貞真尼の墓と思われる。
 

稲田墓所  稲田墓所 五輪塔
 
    聖宝尊者大護摩所跡(しょうぼうそんじゃおおごましょあと)

所在地:美馬市脇町字大谷672
昭和56年10月12日 市指定

 修験道中興の祖とされる、聖宝尊者が天安2年(858年)に大滝山に登山し、柴灯護摩をたいて修行した場所として伝えられた場所。

 

聖宝尊者大護摩所跡 聖宝尊者大護摩所跡
 
    神明神社(しんめいじんじゃ)

所在地:美馬市穴吹町口山字宮内
昭和62年3月11日 市指定
 
 穴吹川に隣接する丘陵尾根先端部に設けられた石垣による異形の祠。南北約7m、東西約22mの石垣による長方形の囲状を呈する。南辺に3ヵ所の入口、北辺に5ヵ所の祠が設けられる。築造年代の詳細は不明だが、石積技法や「白人大明神由来書」の記述から、少なくとも現在の姿については近世以降のものである。成立年代は比較的新しいが、神社遺構として他に類例がなく、貴重な資料である。

神明神社 神明神社
 
 「白人大明神由来書」(1779年)によると、白人神社より約1町(109m)上の段の明神山という古社床といわれる所で、寛保年間(1741~1743)に芝刈の際に以下の石垣が発見されたという。記された内容は、長さ八間余(約15m)横幅四間余(約7.5m)、東南方向に入口2ヵ所、内側は長さ六間(約11m)幅約一間(1.8m)とあり、現状とは異なる。
 また、昭和30年頃、財宝(源為朝)を捜索して大規模に掘削。特に東方では約15mほど掘り下げたといわれ、これにより崩壊寸前になったため、昭和57年一部修復している。
 
    石尾神社(いしおじんじゃ)

 所在地:美馬市穴吹町古宮字平谷
 昭和62年3月11日 市指定

 東西80m、南北120m、高さ30mの巨大な結晶片岩の露頭の周囲に板状列石が50m程並ぶ。また巨大な露頭の直上には、美馬市指定天然記念物の高野槙群落がみられる。

石尾神社 鳥居 石尾神社 板状列石 石尾神社 巨岩露頭
 
    東林寺庭園(とうりんじていえん)

所在地:美馬市脇町字脇町1210番地
昭和49年12月17日 市指定

  本堂からの座観式枯山水庭園で背後の虎伏山と呼ばれる裏山を借景として利用し、中央に3段に滝を落とす竜門瀑形式で滝を大きく見せる為に左岸を張り出している。
  池の部分は鶴島・亀島を配しこの島を取り組むように池をめぐらしている。
  現状は当初の庭園の姿が樹木の根による石組みの乱れと後世の外来植物等により大きく改変されている。
  作庭の時期は室町時代末期とされ、徳島市阿波国分寺庭園、美馬市願勝寺庭園・つるぎ町多聞寺庭園などと同様に県下でも古い庭園の一つである。

東林寺庭園 東林寺庭園
 
    カスミサンショウウオの生息地

所在地:美馬市脇町田上地区
昭和56年10月12日 市指定

  カスミサンショウウオは、「徳島県の絶滅のおそれのある野生生物ー動物編ー」によれば全長8~12cmで色は緑褐色・褐色で尾の上下縁に黄色い条線がある。
  本州西南部(岐阜県以西)・四国・九州に分布する。
  県内では、沿岸部や吉野川沿いの標高200m以下の丘陵地から低山地に生息する。
  生息地は、水質の綺麗な水と水田等の湿地帯が必要であり、自然が多く変えられずに維持しておくことが大切である。

  なお、「徳島県立博物館開設準備調査報告第4号」(1989年)によれば、県内にはカスミサンショウウオの他にオオサンショウウオ・ブチサンショウウオ・ベッコウサンショウウオ・オオダイガハラサンショウウオ・ハコネサンショウウオが生息していると報告されている。

カスミサンショウウオ カスミサンショウウオ
 
    中山路のイチョウ(なかやまじのいちょう)

所在地:美馬市美馬町字銀杏木69
平成13年12月7日 市指定

 郡里廃寺跡〔国史跡〕の中心部に位置する樹周約12mの銀杏の巨樹。樹齢は、約700年といわれている。数十年前に主幹が伐採されてしまったが、過去には32m程の樹高があったそうである。
この銀杏は雌の木であり、秋には大量の実をつける。雌の木としては全国でも屈指の規模である。

中山路のイチョウ 初夏 中山路のイチョウ 秋
 
    石尾神社のコウヤマキ群落(いしおじんじゃのこうやまきぐんらく)

所在地:美馬市穴吹町古宮字平谷
平成11年3月30日 市指定

 結晶片岩の巨岩の上という乾燥の強い特異な環境に群生する高野槙。主幹2m、樹高24m程の高野槙が約45本群生している。

 
    荒川衝上(あらかわしょうじょう)

所在地:美馬市美馬町字坊ヶ谷2-1
平成17年2月25日 市指定

 中央構造線の活動の影響によって和泉層群(約七千万年前)が上昇し、洗浄地礫層(約三万四千年前)の上に押しかぶせたように乗っているもの。近年の土取りによって生じた露頭。

荒川衝上 荒川衝上
   
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関連情報
   
 
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