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観光情報観る寺町 - 願勝寺

寺町 - 願勝寺

正面から見た願勝寺の写真

「あづま屋」から石段を登ったところに位置します。本堂の裏には有名な「枯山水の庭園」が見られます。
また、敷地内には「美馬市立郷土博物館」も開館しています。

由来

宝壷山・真城院「願勝寺」<真言宗・御室派>
奈良時代に忌部五十麿(いんべいそまろ)が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に方壷山維摩寺(ゆいまじ)を建立しました。
平安時代 藤原信西(しんぜい)の娘 阿波内侍(あわのないじ)が崇徳天皇に仕えてたいへんかわいがられていました。
手前右斜めから見た願勝寺の写真
たまたま 第77代 後白河天皇(崇徳天皇の弟)の御代(みよ)に、 保元の乱〈上皇と天皇の対立による戦い〉が起り、崇徳上皇側が破れ、 崇徳上皇は讃岐に流され、1164年の8月 讃岐の地に崩御されました。 46歳でした。
阿波内侍は、これを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼(びくに)となり、館(やかた)を改め寺とし、上皇のご冥福を祈りました。その寺が京都の願勝寺でした。
はばかるところがあって、内侍尼は了海上人(りょうかいしょうにん)に託して京の願勝寺を母の生国の阿波に移し 維摩寺 改め願勝寺としました。
これが現在の願勝寺のはじまりです。

願勝寺・枯山水の庭園

本堂の裏側に位置し、四国最古の庭園の一つに数えられています。

由来

願勝寺の枯山水庭園の写真
南北朝時代(1336から1392)の築造とされる四国最古の池泉式枯山水の庭園。
昭和33年 鈴江弥太郎氏によってその価値が発見され、京都林泉協会会長重森三玲先生によって全国にそのすばらしさが紹介されました。
文部省は昭和41年 科学研究費補助金によって、調査費を交付し、大阪美術館 佐々木利三氏によって同年秋実測を終え、「岩組み」は、かの有名な京都天龍寺の庭の「岩組み」と同一手法で全国に散在する五つの滝の一つと判明しました。

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