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世界的外科医・三宅速

三宅速の写真
郷土の偉人
町が生んだ世界的外科医

三宅 速(はやり)

1866年3月18日~1945年6月29日(享年80歳)
1866(慶応2)年徳島県穴吹町舞中島の医家に生まれる。12才の時上京、25才で東京帝国大学医科大学(現東大)卒業後、徳島市で三宅病院創立。33才でドイツに留学、ミクリッツ教授に師事。胆石症の研究により一躍世界的な医学者となる。
帰国後、35才で大阪府立医学校(現阪大)の付属医院外科医長、続いて福岡医科大学(現九州大学)に赴任、ドイツ留学。38才で福岡医科大学教授。1910(明治43)年、九州帝国大学初代外科部長に就任。指導者としても信望が厚く、名実ともに内臓外科の名手と絶賛された。
アインシュタインと三宅医博の写真
1936(昭和11)年ドイツ外科学会国外会員、1943(昭和18)年には、日本外科学会名誉会頭に推挙されるなど、日本における外科学の開拓者として活躍し、1945(昭和20)年米軍空襲により、岡山県において没す。(享年80才)
1922(大正11)年(56才)、欧米視察旅行から帰途の船中、ドイツの理論物理学者アインシュタイン博士の急病を治療するという奇縁からお互いに親交があり、三宅先生夫妻の戦争による死を悼んで、自筆の哀悼文が寄せられた。
穴吹町舞中島光泉寺境内のアインシュタイン友情の碑に碑文が刻まれている。 (右写真:欧米視察旅行から帰途の船中 アインシュタインと三宅医博)

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三宅博士を悼む・・・アインシュタイン友情の碑

墓碑正面

Hier ruhen Dr.Hayari Myake
und dessen Frau Miho Myake.
Sie wirkten vereint fur
das Wohl der Menschen
und schieden vereint als Opfer
von deren Verirrungen.

Albert Einstein
ここには三宅博士と
みほ夫人が眠っている。
ふたりはともに
人の世のしあわせのために働き、
そして世の恐ろしい迷いの犠牲となって
ともに亡くなった。

アルベルト アインシュタイン

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